club clover -1-

 はばたき市臨海地区、この辺り一帯は水族館や空中庭園などがありデートスポットの定番だが、もうひとつ夜の顔も持っている。
 ショッピングモールから少し外れた通りは、日が暮れてから賑わう、いわゆる夜遊びスポットなのだ。
 ここはその中にひっそりと構え、口コミで人気が広がりつつある“club clover”――。





 客足はピークを過ぎたようで、ホールの一角をガラス壁で仕切った待機ボックスには、今日の出勤人数半分ほどのキャストが座っていた。
 趣味の話で盛り上がっているキャストたちも居たが、営業時間の後半であり程よい疲れからか静かな空気が漂っている。
 このまま緩やかに今日の仕事は終わるのだろう、とキャストのひとり、は思っていたのだが。
 接客を終え待機ボックスへ来たある新人キャストをもとに、ちょっとしたざわめきが起こった。
「ねえ! 今入ってきたお客さん、もしかして……」
 彼女に耳打ちされたキャストが慌ててガラス越しにホールを覗く。
 釣られて数人が客席を覗き、彼女たちは明らかに色めき立った。

 若くてカッコイイお客さんが来たんだ。
 はのん気に構えていた。
 club cloverの顧客年齢層は他店より比較的高く、30代後半からの男性が多い。
 厳しいノルマ等も無く、働きやすい店ではあるが。
 やはりどうせなら、若く見た目もいい男性の隣に座りたいところ。
 しかし、は高齢の客からの指名がほとんどだ。その席を担当するのは、ウチでも若めのお客さんに人気がある子たちだろう、と。
 はしゃぐ声を何となく聞きつつ、いつもよりキレイに仕上がったネイルをそっと撫でていた。


「美咲さん、さん、お願いします」
 待機ボックスの入り口に立ったボーイが一礼した。
 は目をしばたたかせて立ち上がる。はしゃいでいたキャストたちからの羨む声が聞こえた。
 ナンバークラスの美咲は、と同じく高齢の指名客が多い。ふたりで「どうして?」とアイコンタクトを取り、ボーイのもとへ足を進めた。
「天之橋様からのご紹介の方です」
「……なるほどね」
 ボーイの言葉に美咲が頷いた。天之橋 一鶴は、美咲が新人の頃からひいきにしてもらっている常連客なのだ。
 客席をちらりと見た美咲は、ボーイに両手の人差し指と親指で四角い形を作ってみせた。
「ねえ、『アレ』、持ってきてくれない?」
「はい」
 素早く持ち込まれた「アレ」とは、ジュエリーボックス。
 ボーイの両手にちょうど収まる大きさのそのボックスから、美咲はリングとネックレスを選び、今まで着けていたものと交換した。
「新規のお客さんじゃなかったんですか?」
 は疑問に思った。
 美咲は数多い客から様々なプレゼントを貰っていた。中でもジュエリー類は店に保管し、相手の席へつくときにこうして着け替えているのだ。
 初めてのようだったのに、親しい客なのだろうか。
「うん。初めてなんだけどね、これがいいの」
「そういうの、好きそうな方なんですか?」
「席につけば分かるわよ……若い人って久しぶりだわ」
「あははっ、美咲さんだって若いのにそんな大御所みたいな」
「だって、ねえ」
 また客席をちら、と見た美咲は「美味しそうよ?」と意味深に微笑む。
 席へついただけで客の笑顔を引き出すほどの美人なのに、こうした茶目っ気もある先輩を、は大好きで尊敬していた。


 スーツ姿でもなければネクタイも無い彼らの席は、若さもあって店内を見渡すとそこだけ違う店のように感じた。
 すらりと長身で、整った容姿の男性がふたり。
 確かに「美味しそう」かもしれない。は思い出し笑いをしながら、膝を低くし彼らと目線を合わせて挨拶した。
「いらっしゃいませ、です。よろしくお願いします」
「おっ、ちゃんやな、名前は聞いてるで。……なんやジブン、いい顔して。だいぶ飲まされたんか?」
 からおしぼりを受け取った客は気さくに語り始めた。
 切れ長の瞳を持つこの男性はイントネーションからして関西の人のようだ。
 顔立ちからクールな印象を受けたが、話すと人懐っこい表情になって好感が持てた。

 と美咲はふたりの客を間に、両端へ腰を下ろした。
「いえ、違うんです。ちょっと、ね?」
 席へつきながら美咲へ目配せすると、「ナイショよ」といった顔をされた。
「ん? 女の子同士のヒミツ?? 気になるなぁ」
「そう、ヒミツです。……あの、一鶴さんのお知り合いなんですよね?」
「『一鶴さん』て! あのオッサン、ここでそんな呼び方されてるん?」
「あはは、一鶴さん女の子たちから人気あるんですよ。とっても優しいから」
「うっわ、相変わらずやの。オッサン昔から女の子にはべた〜っと優しくてな。せやジブン、バラもろたことない?」
「ありますよ、お誕生日に両手いっぱい。ここの子皆もらってますもん。ねえ美咲さん」
 美咲はにこっと笑って応える。その手前に座る客は、どこかで見覚えがあるような気がした。
「びっくりしました。だってホントにたくさんで、ええと……」
 両手で、これくらい、と花束を抱き締めたときの様子をしてみせると、隣の彼は腹を抱えて笑い出した。

「あははは!! なに間違った方向に気取っとんねんあのオヤジは! 男だけで飲みに行ったら下ネタ大魔王なくせに。なあ、葉月?」
「……ああ」
 肩をばしばしと叩かれた連れの男性は、少し迷惑そうに返事をした。
 その名前とこちら側へ向いた顔で分かった。見覚えがあって当たり前、元モデルの葉月 珪だったのだ。
 高校時代にはどの雑誌でも彼の記事を扱っていて、友達に熱狂的なファンの子がいた。
 なら、隣でけらけら笑い転げているこの人も、背が高いしモデル仲間なのだろうか。
 ……と、それよりも先に。話しやすくて、仕事を忘れるところだった。
「どちらを飲まれますか?」
「ん? どっちもオッサンのボトルなん?」
 テーブルには2本のボトルとミネラルウォーターの瓶とアイスペールがセットされていた。
「はい。ジャン・フィユーが一鶴さんので、カルバドスは女の子用に、ってキープしてくださったんです」
「へえー、やりよるなあのオッサン。で、ちゃんはコレ飲むん?」
 シンプルな形の細身のボトルと、中に小ぶりのリンゴが入ったボトル、彼はリンゴのボトルを指差して言った。
「女の子用っていうより、ほぼ私と美咲さん用ってカンジなんですよね……」
 はうなずきながら、他の子はジュースとかカクテルを飲むから、と笑ってみせた。
「ハハ! ええなあ、じゃあオレちゃんと同じのもろていい? 割らんと、氷一個だけ入れてくれへん?」
「はい。……あの、葉月さんはどちらにされますか?」
 ふいに名前を呼ばれた葉月は、少しだけ目を見開いてを見てから、ボトルへと視線を移した。
「……水でいい」
「水、ですか?」
「ちょお待てや葉月! お前、シラフで帰ろう思てへんか? アカンアカン、今日こそはへろっへろな『けいポン』を見せてもらうで!」
「けいポン?」
「姫条……お前……」
 葉月は長いため息をつく。隣から美咲に何か話しかけられ、小さくうなずいている様子だった。

 結局葉月は、美咲とハウスワインを飲み始めた。
「『きじょう』さん、もう、たくさん飲まれたんですか?」
 姫条とは、氷を浮かべたカルバドスをゆっくりと味わっている。
 テーブルには、他にフルーツ盛り合わせとミックスナッツが置かれていた。
「メシ食いながらビールちょこっとやけどな。なんで? オレ、めっちゃ酔っ払いに見える?」 
「いいえ、さっき葉月さんがお水って言われたので」
「あー。コイツな、彼女と一緒に住んでんねんけど、酔うて帰んのイヤらしいねん」
「お酒くさいのやだ、とか言われちゃうんですか?」
「ちゃうねん……実はな」
 手招きされたは姫条に耳を近付けた。
――前に酔うて帰って、『けいポン』って呼べー、って言うたことがあるんやって。
 耳にこっそりと入る声。そして姫条の長めの前髪が頬をかすめて、は一瞬どきっとした。
「……可愛いっ」
「ハハハッ! せやろ、カワイイやろ? 普段こんだけすかした顔して、『けいポン』やで『けいポン』!!」
 姫条は爽快に笑いつつ、葉月の肩に腕を回した。
「しつこい」
 葉月は姫条へ不機嫌な顔をみせたが、頬がほんのりと赤くなっているようだった。
 照れているのか、酔ってきたのか。それにしても。
 近くで見れば見るほど奇跡のように綺麗な顔だ。パーツひとつひとつの作りも配置も間違いが全く無い。
 モデルとして稀に見る逸材、などと言われていたはず。きっと女の子なら誰もがそれにうっとりとうなずくだろう。

「……ちゃんも、けいポンみたいなんが好みなん?」
 耳のそばで話しかけられてまたどきっとした。
「綺麗ですけど……綺麗過ぎて私には恐れ多いです。遠巻きに見ていたいカンジかな」
「ふうん。じゃあどんなんが好み?」
 姫条はにっと笑っていた。その顔には分かりやすく大げさにみせた期待がいっぱいで。
 笑いながら「きじょうさんみたいな人!」と言うと、「よっしゃ、遠慮なく飲みたまえ。ハハハ」と声音を変えた返事が返ってきた。
 楽しい人。思えば同年代の男性と話すのは久しぶりだった。
 確かに、姫条と葉月のどちらかを選べ、と言われれば親しみやすい姫条かもしれない。
 甘みのあるお酒が、いつも以上に甘く美味しく感じた。
 
 笑いを交えた会話が弾むたちとは対照的に、美咲と葉月は静かな会話を交わしているようだった。
「バラのオッサンが言うてた通りやな。けいポンが初対面の子と会話続くんって珍しいわ」
「そうなんですか?」
「せやで。口数少ない上、モノはっきり言うしな。悪いヤツやなくて喋んのヘタなだけやねんけど、あの見た目やし『気取ってる』って誤解されやすいねん」
「うーん……」
 今見ている限りではそういった嫌な印象は感じられないのだが。
「女の子がすごいわ、美咲ちゃんか。オッサンが『彼女に任せれば間違いない』って、言うとった」
「美咲さん知識が豊富ですからね。私が何訊いても答えてくれるし、お客様とも会話が途絶えないんです」
「ほほう、プロやな」
「ですね。私にはマネできません、飲みキャラですもん」
 は手にしていたオールドグラスを少し傾けてみせる。姫条はそれを見て、軽くグラスを合わせてきた。
「なるほど。よかろう、心置きなく飲みたまえ。……バラくさいボトルやけどな」
 芝居がかった口調とポーズで言ったあと、姫条はハハッと笑いグラスを飲み干す。
 のグラスもあとひと口ほどの酒しか残っていなかった。
「あははっ、ではお言葉に甘えて。きじょうさんもまた同じでいいですか?」
「おっ、よろしく。同じ酒を同じ飲み方してんのって、仲良しなカンジでええよな」
 氷をひとつ浮かべるのは偶然だったにしても、この人がカルバドスを選んだのは気を遣ってくれたのかもしれない。
 さらりと言われた姫条の言葉から、はそう思った。

 ふと見ると、葉月が美咲の指先を握り、その手をじっと見つめていた。
「あら? けいポン目覚めたんやろか? やっばいんちゃう、こんな時期に火遊びしたら」
 姫条からナイショ話のように言われたが、声の大きさも向け先も、そうではなかった。
「違う……ほら、コレ」
 当然聞こえた葉月がこちらへ振り向き、と姫条へ美咲の手を見せる仕種をする。
「ん? 指輪か?」
「ああ、初めて店に出したシリーズの。もう販売してない……懐かしいな」
 葉月は高校卒業と同時にモデルを辞め、ジュエリーデザイナーへの道を進んだ。
 大学在学中に店舗を構え、今ではオーダーすると半年以上待たされるほど名が知れ渡っている。
「可愛いですね」
 柔らかい曲線を描くアームに小さな花のモチーフ。「女性」というより「女の子」らしいデザインだった。
 の言葉に葉月は穏やかに微笑んだ。
「今の『プリンセスシリーズ』も、ロマンチックで洗練されていて素敵なんですけど、私は初めてのお給料で買ったこっちに思い入れがあるんです」
 美咲も微笑んで言う。
「この頃は、仕上がるまで今よりかなりの時間がかかってた。見ると感慨深いな」
「大事に着けてます」
「拙いものだけど……」
 ありがたいな、と続けた葉月の顔は、控え目な表情だったが本当に嬉しそうだった。

 美咲と葉月は、シルバーは、彫金は、などとにはついていけない会話を始めた。
「……ところで、きじょうさんは葉月さんや一鶴さんとどういったお知り合いなんですか?」
 姫条も美咲たちの会話へ入る気が無さそうだったので、葵は初めに聞き逃したことをあらためてみた。
「ああ、えーと……オッサンが何者かは知ってるん?」
「高校の理事長さんですよね?」
「そうそう。ヘンな嘘はついてへんねんな。調香師とか音楽家とかワケの分からんこと言うてんのか思てたわ。……で、オレらはその高校の卒業生やねん」
「同級生なんですか?」
「そう、ふたりとも今年24」
「あ、一緒……」
 そこで姫条はの顔をじいっと見つめてきた。
「えっ、ホンマに!? ちょい下くらいに見えんで」
「ううっ、そんな近くで見られるとボロが」
 至近距離まで近付かれ、は身を反らしつつ苦笑いをする。
「いやいやいや、夜型で毎晩浴びるほど飲んでんねんやろ。それにしては肌めっちゃキレイよな」
「浴びるほどでは……」
 悪気は無いのだろうが、とにかく近い。
 葉月が「綺麗」なら、姫条は「カッコイイ」タイプ。
 間近で見るその瞳は迫力さえも感じた。
 普段ならこんな状況になっても軽く流せるだったが。
 今回はなぜだか射すくめられたように、続ける言葉が浮かばずどう行動したらいいのかも分からなかった。
 固まっていたに助け舟を出してくれたのは、葉月。
「コラ、酔ってるのか、お前」
 葉月からいさめるように腕を引かれた姫条は、唇を尖らせて言う。
「いったぁー、けいポンひどーい。ええトコやったのにぃ」
「……それはやめろ」
「け〜いポン」
「……」
 呆れたため息をつく葉月とからかう姫条、ふたりの対比が何ともいえず、はくすくすと笑った。




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