club clover -2-

 その後、ちらほらと客入りがあり、指名が入ったと美咲が席を離れた時間もあった。
 そして席へ戻るたび、姫条と葉月の表情に酔いが浮かび、口の滑りもよくなっていく。
 姫条は元からよく話してくれていたが、葉月も猫の可愛さについてぽつぽつと語るなど、テーブルは和やかでくだけた雰囲気となっていた。
「そう、ネコ! けいポンな、高校んとき体育館裏に住みついてたネコの親子を世話しとってん。で、仔猫が生まれたらその……」
「姫条!」
 葉月の頬にさっと赤みが差す。
「なになに? アカンかったん? 別にカワイらしくてええと思うけどな」
「その話は……もう、いい……」
 姫条が葉月の肩に肘を乗せて言うが、葉月はふいと顔を逸らしワイングラスを取った。
「ええやん、お前の超プラトニックなラブストーリー。今でも後輩たちに語り継がれてんねんで? ちゃんも美咲ちゃんも聞いたってや。あっけいポン、仔猫の話はちゃんと省いといたる。仔猫の名前については口が裂けても言えへん」
「お前は……」
 ワインをひと口飲んだ葉月は、ソファの背もたれへ身を預け肩の力を落とした。
「まあまあ、お兄さん。めでたい話やし、な?」
「めでたいって、今日は……」
「おっと! わびしい話は置いといて。ここはロマンチリクルな話やろ、な、ちゃん?」
 わびしい? ロマンチリクル?
 が首を傾げても姫条はにこにこしっ放しだ。
「あの……でも……」
 葉月が嫌がっているのなら無理に聞いてはいけないだろう、と様子を窺ってみる。
 ぽっ、と赤い頬をしていた葉月の表情からは、不機嫌なのかどうなのか量りかねた。
「あー、照れてんねん。やっとここまでこぎ着けたんやもんな。……あのな、けいポン子供の頃に仲良しやった女の子と一度離れてしもて」
「…………余計なことは言うなよ……仔猫とか」
 小さな声で言った葉月は、ワインをぐいっとあおってからうつむく。
「ハハッ、よしきた、仔猫以外で。オレの口がいうこときけばな。……で、その女の子と離れる前に『また会おう』って約束しててんけど」
 葉月に止めるそぶりが無かったので、は姫条の話をじっくり聞くことにした。
 閉店まで小一時間ほど。他の指名客の見送りも終わっていた。



 超プラトニックなラブストーリー。
 それはもう言葉通りの、胸にきゅっとくる話だった。
「――と、そんなこんなで、こないだやっとプロポーズにOKしてもろたんやって!!」
「「……素敵!!」」
 と美咲は同時に声をあげた。
 幼い頃の約束をずっと覚えていて、その相手と高校で再会して。
 しかし約束を忘れていると思われる相手に名乗ることもせず、高校の3年間ずっと見守り続けて。
 卒業の日に告白。場所はステンドグラスが美しい思い出の教会。
 相手はその日、教会へ足を踏み入れた瞬間に約束を思い出したのだとか。
「……映画みたい。ホントにそんな素敵な現実ってあるんですね」
 はしみじみと言う。
 3年間の数あるエピソードから、葉月の思いの深さがよく伝わってきた。
「おめでとうございます。お幸せに」
 美咲が言うと、葉月は照れくさそうな笑顔で応えた。



 切れ目無く会話が進むうちに閉店時間が近まり、来店の早い客からチェックが始まった。
 それぞれの席へ伝票を持ったボーイが向かう。
「そろそろ閉店なん?」
 ちら、と周りを見た姫条がへ訊いた。
 は腕時計に目をやりながら答える。
「あと20分くらいですね」
「へえ、あっという間やったな。……えーと、トイレは?」
「あちらの右手奥です」
 店の入り口近くにある通路を手で示すと、姫条はうんうんとうなずいた。 
「なるほど。なあちゃん、連れてってくれへん?」
「はい、じゃあ行きましょう」
 姫条は少々目がとろんとしている。私とふたりでかなりの量を飲んだことだし、見た目以上に酔っているのかな、とは思った。


 並んで歩くと一層、長身の姫条は独特な存在感を感じさせた。
 葉月も同じくだが、放っておいても女の子から寄ってきたに違いない。彼にも、きっと相当のラブストーリーがあったことだろう。
ちゃん、今日めっちゃ楽しかったわ。ありがとうな」
「いえいえ、私の方こそお客さんになったみたいに楽しませてもらいました」
「ハハ、そうか。オレな、こういう店って、客を金ヅルにしか思てへん派手な女の子と、ねちこくてやらしいオッサンがべたーっと飲んでるイヤなイメージしかなかってん。けどここはちゃうかったわ。他の客見てても皆にこにこして飲んでるだけやったしな」
「いつもこんな感じですよ。良かったらまた一鶴さんとご一緒にいらしてくださいね」
「それはやめとくわ、花椿も一緒ちゃうん? あのオッサンしつこいから苦手やねん」
「確かにゴローちゃんとおふたりでみえることが多いですが……しつこい、ってまさか」
「ああっ、迫られてるとかそんなんちゃうで!? って『ゴローちゃん』かい! オッサンらふたりでホンマ……」
 姫条は、やれやれ、といった風に顔をしかめてため息をこぼす。
 親しさが窺えて微笑ましく見えた。
「……では、こちらの奥になりますので」
 化粧室へと続く通路に着き、先へ進むよう促すと、姫条は首を軽く横に振った。
「ホンマの用事はこっちやねん」
「えっ? ……ああ」
 は頬を緩める。姫条が指したのは受付、葉月に黙ってひとりで会計を済ませるようだ。
「実はムリヤリ引っ張ってきたから、お詫びとお祝いみたいなカンジでな」
「ムリヤリ、ですか?」
「せやねん。外で偶然会うて、ちょい久しぶりやし『メシ行こか』ってなってんけど、それで帰るつもりやったみたいやのにな」
「そうなんですか……」
「で、ふたりで2件目探してうろうろしてたら、これまた偶然バラのオッサンと会うてここ勧められてん……あ、オレらの会計いくらになります?」
 受付カウンターに居たチーフは、声をかけてきた姫条の顔を見、にこりとした。
「天之橋様より、支払いの必要は無い、とお伝えするよう承っております」
「はあ!? なんやそれ、オッサンがオゴってくれるっちゅうことかいな? いやいやええですわ、オレ払います」
「姫条様ですね。『ふたりへのお祝いの気持ちだから、このオジサンの厚意をむげにしないように』とも仰ってました」
「うっわー……オトコマエやな。先にやられてしもたわ……」
 姫条はばつが悪いといった風に髪をくしゃっとかき上げた。
「きじょうさんも、何か特別なことがあったんですか?」
 は訊いた。「ふたりへの」と聞こえたからだ。
「いやまあ、ええっと……。せや! オレの名前でボトル入れるわ、また今度来るし。それぐらいやったら自分で払てもかまへんはずや。ボトルメニューあります?」
「こちらです、どうぞ」
 チーフは早口になった姫条にまたにこりとし、壁際の棚からメニューを出した。

 メニューのページをぱらぱらとめくる手が止まった。
ちゃん、バーボン飲める?」
「はい」
「嬉しそうな顔やな。好きなんはどれ? 今度一緒に飲も」
 開かれたページには、ずらりと並ぶボトルの写真。まだ飲んだことがないものもある。
 ここは嘘でも値の張るボトルを言うべきなのだが、にとっては今日の売り上げよりもまた本当に来てもらえる方がよかった。
「私は詳しくないので……。きじょうさんの好きなボトルにしてください」
 ひとつのメニューを一緒にじいっと見入るこの距離感と空気を、また味わえたらな、と思えたのだ。
「んー……、オレも同じのばっかり飲んでてあんまり知らんしなあ」
「ここにありますか?」
「……コレ」
 姫条はラベルに七面鳥の絵と8の数字が入ったボトルの写真を指す。
「あ、好き! ターキーは12年も濃くて美味しいんですけど、8年はカーッときていいですよね」
 が言うと、姫条はけらけらと笑った。
「そうそう、そんな感じ、気ぃ合うなあ。なあお兄さん、この子カワイイしおもろくてええな!」
「はい……ありがとうございます」
 釣られたチーフもククッと笑みを漏らして言った。





 夜更けの街は、地上も天上もきらびやか。
 酔いと気だるさを含んだ空気が、にとって心地いいものとなったのはいつからだろう。
「ほな、またホンマに来……」
 姫条と葉月を見送るため4人で店の扉をくぐった瞬間、姫条の携帯が鳴った。
「着信音までバラくさいな」
 姫条はぶつぶつ言いつつ、悪い、と目配せをして通話ボタンを押す。
「一鶴さんからみたいですね」
 がくすりと笑いながら葉月に話しかけると、ふんわり緩んだ笑顔が返ってきた。
 初めは気乗りしてなさそうに見えたが、いい感じに酔っているようでよかった。
「……スマン、オッサンからや。美咲ちゃんに伝言やって」
「私に? 何ですか?」
 電話を終えた姫条の言葉を聞き、美咲の顔がぱあっと明るくなる。
「『今日はお堅い人たちと仕事の飲みやったから、行かれへんくて悪かった』えー、ほんで『今は時間が空いて、いつもの店に居るからよかったら』って」
「ホントですか! 後でメールします」
「なんやソレ本心の顔なん? 美咲ちゃんチャレンジャーやな」
 姫条のひとことで4人皆が笑う。
 その後手を振り合って、長身の男性客ふたりは人ごみとネオンの中へ消えていった。


「……ふっ、今日は思いがけずうるおったわね」
 姫条たちが歩いていった方向をしばらく見ていた美咲がぽつりとつぶやく。
「美咲さん、またそんな……」
 は美咲の背を軽くひじでつついた。
ちゃんもでしょ? ぜーんぜん顔が違ったもの。ねえ、お名刺いただいた?」
 さっきボトルの会計を済ませた後、は姫条から名刺を貰っていた。
 バニティバッグから取り出したそれを美咲へ渡す。
「あー……、珍しい苗字だからまさかとは思ってたけど。へえー……」
「建築関係のお客さんからちょくちょく聞きますよね。大阪にお父様がされてる本社があるんですって」
 名刺には“姫条建設支社 代表取締役社長”の肩書きが記されていた。
「いいんじゃない、若社長。周りに気を遣う方だったしね」
「美咲さんも思いました? さりげなく葉月さんが話題の中心になるようにしてましたよね。私もすごい楽しかったです」
「個人的に盛り上がってお店辞めたりしないでね。寂しいから」
 美咲は唇を尖らせて言った。
「だーいじょうぶです! だって姫条さん、あんなイケメンで社長なのに、誕生日を一緒に過ごす相手が居なくて葉月さんを連れ回してたらしいんですよ。何か訳アリなんじゃないですか?」
 は返された名刺を人差し指と中指ではさみ、顔の前で立ててみせながらにっと笑う。
「変わった趣味とかお持ちなのかしらね?」
「かもしれないですよ。また来てほしいって思いますけど、ちょっと残念かなぁ」
「だからって、一鶴さんはだめよ?」
「ええーっ? 美咲さん、ホントに本気なんですか?」
 詰め寄るに、美咲は少しの間きょとんとし。
「さあ、どう思う?」
 軽く首をかしげ、口の端を引き上げ目元も美しく緩ませる。
 多くの客を惚けさせるこの笑顔は美咲の最大の武器だ。
「あーっ、その顔! その魅惑の微笑みでごまかすなんてずるいですよ、もうっ」
「知らない。ちゃんが本当のこと言ってくれないからじゃない。ヘンな趣味の若社長とほどほどに頑張ってね」
「何ですか、それ。美咲さんこそ、バラのおじさまと頑張ってくださいね」
 ふっと微笑んだ美咲が髪に手を通すと、夜の光を受けたネックレスがきらきら小粒の輝きを弾いた。
「ホント可愛いですよね。誰からのプレゼントですか?」
「ん? 自分で買った、って言ったでしょ? 初めてのお給料で、大事にしてるのもホントの話。それでね、ジュエリーショップでのお買い物も初めてだったから、うきうきして店を出たところで一鶴さんと出会ったの」
「えっ!?」
 うっかり大声をあげてしまい、は口元をさっと押さえる。
 初対面はもちろん店内だろうと思い込んでいたから初耳だった。
「ナンパよ、ナンパ。素敵よね、あのおじさま」
「……そう思う美咲さんも素敵です」



 ふたりはくすくすと笑みを交わし店内へと戻る。
 華やかなドレスを身にまとい、酒をたしなむ客にひとときの夢心地を味わってもらう、それがたちキャストの仕事。
 普段とは少し違う気分で、今日一日の仕事が終わった。


  -fin-



青の朝陽と黄の柘榴 背景素材 : 青の朝陽と黄の柘榴 さま


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