その理由は - 1 -

 少し早めに終わった被服室での授業。日直だった私は黒板をきれいにし、裁縫道具がきちんと片付いているかチェックし終えてから扉へと向かった。
 廊下へ出ると同時に授業終了のチャイム、今から10分の休み時間だ。
 このまま左へまっすぐ進んだら私のクラスなんだけど、ちょうどいい空き時間だから、ひとつ下の階に寄ってみようかと思った。
 そこの廊下に、つい最近美術の授業で描いた人物画がずらりと展示されているらしい。
 それは人物さえ描かれていれば画材・表現方法を問わない、自由度の高い課題だった。

「三原君はさすが! もう、芸術的過ぎて人だか何だかわかんないけど、きれいなんだよね。やっぱ自画像かなあ?」
「姫条のはゆるかわキャラっぽい鈴鹿君。それがイタズラ書きみたいなくるんとしたヒゲとかあって超ウケんの!」
「で、鈴鹿君は殴り書きの傑作! 仕返しみたいにブッサイクな姫条の絵でさー」

 ひと通り朝から見てきた奈津実ちゃんに聞いて、おもしろそうだからできるだけ早く見に行きたかった。
「アンタも見てきなよ! マジウケるし、色々とびっくりすると思うよ〜」とまで言われて、期待しないワケがない。
 ちなみに、私は奈津実ちゃんと組んで、お互いを思いっきり美化して少女マンガ風に描いた。
 みんなはどんな絵を描いてるのかな。
 授業中に周りをチラ見したものの中だと、美術部の女の子が本気を出して描いていた理事長の素敵絵、あれの仕上がりもすごく気になる。
 階段が近付くにつれ、急ぎ足になっていく。そのとき。

 背後からふいに呼び止められて、肩がぴくりと跳ねた。
 ああ、空耳であってほしい。
 けれどその、そうっと女の子の気持ちを撫でるような声の主は、できれば顔を合わせたくなかったあのひとで間違いないだろう。
 少し離れたところから、こっちをちらちら気にしている女の子たちがいた。すれ違う女の子も、頬を赤くして私の背後にいるひとを意識している。
 別人であることを願いはしたけれど、足を止め振り向くと、やはりそこには今日も変わらず完璧な顔立ちの彼。
「はっ……葉月、くん……」
 だめだ、自然にしたいのにヘンな声になった。
「さっき、家庭科だったのか?」
「う、うん」
「…………」
 これは、この間は。もしかしたらいつもの?
 まさかね。何かフツーの用事とか、単に世間話とかだよね。
 いくらなんでもそろそろ飽きるでしょ。「王子様」と呼ばれてまったく違和感のない葉月くんだもん。
 そうそう。今までのは何かの間違い、私は生粋の庶民ですもの。
「……なあ、今度のに――」
 庶民中の庶民、なんですが??
「ああっ、ごめんっ! あの子にノートを貸す約束してたんだった! 急がなきゃ、またねっ」
 一方的な早口の後半辺りから、私は葉月くんとの距離を広げ、最後には小走りで教室へ向かっていった。
 顔なんてほとんど見ずに、言葉をさえぎってごめん。私が同じことを誰かにされたとしたら、嫌な気分になるだろう。
 それから、ちらりと目に入った同じクラスの女の子、とっさに作り話の相手にしちゃってごめん。
 ごめん。ホントにごめんね。
 私は、葉月くんが苦手だ。


 ――心優しい王子様は、国の外れの田舎町に住む娘にまでも、分け隔てなくその微笑みを絶やさずに接するのでした。

 神様、これはそういう童話でしょうか?

“今度の日曜、空いてるか?”

 どうして、何度も何度も誘われるのでしょうか?


 なんだか悪い意味で注目を浴びているような気がする。
 名前も知らない女の子に、きっ、と睨まれるし、私を見てこそこそ耳打ちしている子たちもいるし。
 王子から話しかけてくれたのに中断するなんて、とかそういうことかな。
 そんなの私だってわかってるよ。相手が誰であろうと失礼な態度だった。
 だけど。もう一緒に出かけないって決めてるから仕方ないじゃない。
 葉月くんの言葉を最後まで聞いたら、私はお断りの返事をしなきゃいけなくなる。
 でもそうすると、結局は妥協案を出して応じてしまう。
 失礼であっても、身の平穏を保つためには、はっきりと断らずに済むよう逃げるしかないのだ。
 気のない返事をしたときの葉月くんは、とにかくとても寂しそうな残念そうな顔に見えるから。
 それで、自分は極悪人なのかと良心がちくちく痛んできて。
 ついつい、「少しの時間でよければ」「次なら大丈夫かも」などと口にして、どれほど後悔したことか。
 そのときの彼の笑顔は、私の心臓をぶち壊すんじゃないかって、それくらいの衝撃があるんだから。


 教室へ着くと、私はまっすぐ奈津実ちゃんの席に向かった。
「あ、おつかれー。……絵、見てきたの?」
「ううん、見れなかった」
「あー……。じゃあ、いつものアレだ?」
 にっと笑う奈津実ちゃんに、うんうんとうなずいてみせる。
 彼女によると私は気持ちが顔に出やすいらしく、こうして自分から言う前にわかってもらえるのはありがたい。
 葉月くんも、これくらいわかってくれたらよかったのに。
 懲りないねぇ、って楽しそうに言われても、私としてはそんな悠長に構えてなんていられない。
 悩めば悩むほど、限界が近付くのを感じるのだ。
「……っ、奈津実ちゃあん」
「ん?」
「私……」
 ふと、廊下から小さな声で名前を呼ばれた気がした。
 目を向けると、ふたりの男の子がふいと顔を逸らし、自然を装って歩いていく。
 ぎこちないなあ、たぶん1年だと思うけどなんだったんだろう。
 もしかして彼らも葉月くんのファン? ……考え過ぎか。
 それにしても、教室内でも女の子からの視線が痛い。さっき話してたのを見られたからか、今日は特に厳しい。
 違う、葉月くんをどうこうしようなんて思ってない、って叫びたい。
「……あとで、ゆっくり聞いてくれる?」
「オッケー。お昼にいつものトコ行こっか」
 女の子からはぴりぴり、男の子からもにやりと来る視線。
 奈津実ちゃんの席と私の席は、間に1列はさんだだけの距離。
 これが、とてつもなく長く感じた。



 昼休み、私と奈津実ちゃんは、ないしょ話をするときの定位置である中庭の外れにいた。
 校舎沿いにちょっと古びたベンチがぽつんと1脚、この校舎は今の時間あまり用事がない教室がメインなので人通りも少ない。
 その上、ここは迷路園の一部なのか、ってくらい目隠しのような木々に囲われている。もしかしたらこのベンチの存在を知らずに卒業していったひともいたりしてね。
 そんなカンジで周りを気にせずにおしゃべりができる、なかなかの穴場だ。
「で? 今日はどしたの?」
 ベンチに落ち着くと、お互いが持ってきたお菓子を分け合う。
 それから購買で買ってきたジュースも、食後の語らいには欠かせないアイテムだ。
「……また『今度の日曜』って。全部聞こえる前に途中でごまかして逃げちゃった」
「うわ、アンタもやるねえ。もう、ホントにデートする気ないの?」
「デート!? そうかアレはデートになるんだ……うん、二度と行かない。やだもん」
 私はオレンジジュースを勢いよく飲んで、ちょっと咳き込んでしまった。
 もう少し甘みのあるものにしたらよかったかも。奈津実ちゃんのいちごオレを見て思っていると、さっとストローを向けてくれた。
 うっ、物欲しそうな顔だったのかな、私。
 恥ずかしくなって気持ち肩をすくめながら、やっぱりせっかくなのでひと口だけありがたくいただいた。
「あははっ、やっぱ性格悪かった? ああいういつもきゃあきゃあ言われてるヤツって、調子に乗ってて偉そうなのばっかだもんねー」
「そっ、そんなことない! すごく優しいし、何かと気を遣ってくれるよ?」
「へ?」
 奈津実ちゃんは目をまん丸にする。そんなに意外かな。
 これまで何度かした「デート」で葉月くんはいつも優しかった。
 調子に乗っている様子なんてまったく無く、ぽわわんと穏やかなひとなのだ。


 ふたりでお昼寝しただけの日もあったなあ。
 天気が良くて緩やかな風が心地いい日だった。森林公園に行ったとき、葉月くんが眠たそうにしてたから、「お昼寝してもいいよ」って言ったら「悪い」ってすぐ寝入っちゃって。
 これでしばらく会話に気を遣わなくていいんだとホッとしたら、私もいつの間にか寝てしまってたんだよね。
 そして葉月くんが起こしてくれたのが夕方近く。少し肌寒さを感じて、陽射しもほんのり赤みがかっていた。
 向かい合って寝転んでいた私たち、優しく揺すられていた肩。
 間近で微笑む、寝起きでふにゃりとくつろいだ顔は、可愛くも色っぽくも見えて。
 いつも見上げていた彼とこんなに近くで見つめ合うなんて、それまでに無かったこと。
 まつげが長い。瞳がきれい。声が出てこない、苦しい。
 温和なのに、鮮やかに一瞬で。このひとは、私の息の根を止めてしまうつもりなのかと思った。


「だから私、葉月くんといると生きた心地がしなくて。上手く話せないのに、にこにこして聞いてくれるのとかも、申し訳なくてもうイヤで……」
「え、えっと……?」
「一日ふたりっきりなんて耐えられないから、もう行かないって決めてるんだ」
「あらら、それって――」
 のちにこうなるって知っていれば、初めて誘われたとき、きちんとお断りしてたのに。
 なぜあの頃はごく普通のひとに見えたんだろう。ちょっとカッコイイかも、どころか、モデルさんであり王子様だと女の子の視線を集めているほどだなんて思いもよらず。
 のんきに「高校生活での初の男友達なのかな」と喜んでたあの頃の自分を、観察眼と判断力を手みやげに叱り飛ばしてやりたい。

「ほうほう、なるほどな」
 突然、低い声が頭の後ろから割り込んできた。
「うわあっ!?」「姫条! アンタなに人の話に入ってきてんのよっ!?」
 私たちは同時に校舎を振り返った。窓越しに話しかけてきたのは姫条くんだ。
「ごきげんよう、お嬢さん方。しかしまあアレやなちゃん。そんな理由やったら、気にせんとデートしたったらええやん」
 姫条くんは窓台で片ひじをつき、騒ぐ私たちに構わず話を続ける。そしてもう片方の手がひょいと差し出され、そこに奈津実ちゃんが飴を置く。
 こういうのはよくあるやり取りで、私にとっても奈津実ちゃんにとっても、彼は気の置けないひとなのだ。
 気が付けば私の高校初の男友達は葉月くんではなく姫条くんとなっていた。
「なんで? 姫条くんっ、私を亡き者にしようとしてない!?」
「いやいやいや、このままやったら葉月の方が先に逝ってまうで? あれだけ一生懸命やねんから、どーんと応えたりや」
「やだ、絶対やだ! 葉月くん、お仕事でいっぱいきれいなひとと知り合えるじゃない! そういうひととデートしてたらいいんだよ、それがお似合いなんだって!」

 絵になるってこういうことなんだ、とお似合いのふたりに見とれてしまった。
 彼の首へ緩やかに手を回す彼女、その後ろ姿は腰も脚もほっそりとしながら誘惑するような曲線も持っていた。
 そして優雅に髪をなびかせ振り返る仕草は、華やかな輝きを放つかの美しさ。
 彼の手は彼女の腰をそっと抱き、視線はその彼女へとまっすぐに――。

 と、それがこの間雑誌のグラビアで見た葉月くんだ。
 ただただ、ため息。
 別世界の雰囲気、美人さんと葉月くんふたり一緒の姿は、お互いの魅力を高め合っていてとても素敵だった。
 ため息の中、私がそばにいたところで葉月くんに庶民臭が感染るだけだよね、と深くうなずきもした。
 みんなの「葉月 珪」をくすませてはいけない。だからお誘いから逃げる私は間違ってない、なんて。
 強引にこじつけつつ、あのどうしようもない緊張感はもう味わいたくないと、あらためて思ったものだ。

「あのな。他人から見てお似合いかどうかやなくて、本人が誰と一緒におりたいか、ってことやん? なんやもうオレ、最近のアイツ見てたらフビンでな」
「……だったら、もう、姫条くんが葉月くんとデートしたらいいよ!」
「あははは!! ソレいいじゃん! でかいオトコふたり、暑苦しいー」
 奈津実ちゃんがけらけら弾けたように笑いだす。
 たしかに、長身のふたりが並んでいたら圧倒されそうな存在感があるだろう。ある意味暑苦しいとも言えるかも。
「はあ? ホンマこのお嬢さん方はワケわからんことを……。オレはやな、地球がひっくり返っても、男となんかデートもチューもしたないわ! この体と唇は、いつか現れる可愛いカワイイ彼女のモンやからな」
 姫条くんは呆れ顔で言ったあと、にゅーっ、と唇を突き出した。
「なにその顔、彼女全力で逃げるから!」
「バカだ、姫条本気でキモイ!!」
 つい吹き出した私と、更に笑い続ける奈津実ちゃん。
 そんな私たちに、姫条くんは「おっと失敬、オトコマエの顔に着替えるわ」と、また違ったヘンな顔をみせてくる。
 お腹がちぎれるかと思うほど笑わせてもらった。
「おお、そうやちゃん。もし葉月がチューしてきたらどないするー?」
「! えっ、えええっ!? そ……っ、そんなの…………」
 今度は控えめに、にゅっ、と。姫条くんが唇をとがらせた。
 そんな顔は無視して。――えっと、葉月くんと?
 それって、あの完璧なお顔が思いっきり接近してくるってことでしょ?
 森林公園のとき以上に、近く。
 ……。
 …………。


「そんなの……もう、夢のような……」
「ほう……」

「だって葉月くんだよ? 見た目があれだけ整ってて、それですごく優しくて……。は……初めてなんだから、そういうひととだと、一生きれいな思い出が残る。憧れるよ」

「ナルホド、ハジメテデスカ……」
「姫条うるさい」

「……だけどね、したくない」

「なんですと!? そのココロは?」
「だからうるさいってば!」

 奈津実ちゃんたちは会話のテンポがぴったり合ってて、掛け合い漫才を見ているみたいだ。
 私が葉月くんとこんな風に話せる日なんて、まず来ないだろうな。


「あ、あのひと、きっとアレだよ、エコーかける。もうね、甘ーく『ちゅ……っ』って! そんなの恥ずかしくて、私、そこらへんにある物全部叩き壊しちゃうかも!」


 しん、と場が一瞬静まったあと、沸き立つような笑い声。
「ぶあはははーっ!! エコー、エコーて!!」
「アンタもう最高!! けど、言いたいことわかる。だよね、アイツ何してても王子オーラ出てるっぽいじゃん!」
 笑うタイミングまでぴったりなふたりは、お腹を抱えて笑い転げながら、たとえば鼻をかんでいてもそうなのかとか色々と続けていく。

「もうっ! 笑いごとじゃないんだから! デ、デートして、近くにいるだけでも緊張しっぱなしなのに……あり得ない絶対ムリもうイヤだ何言いだすのよ姫条くん!」
「……っはぁー、よう笑たわ。けどエコーごときで大騒ぎとはまだまだお子ちゃまですな。オレやったら、ビブラートもきかしまくるっちゅうねん」
 どうだ、と言わんばかりににやりとする姫条くん、誰かこのひとの口を止めてください。
「いやあぁー!! 意味わかんないけど、なんかいやらしい! ヘンタイ!」
 私は奈津実ちゃんにしがみつき、姫条くんへしかめっ面を向ける。
 奈津実ちゃんも私をきゅっと抱きしめて、繰り返しうなずいていた。
「セクシーガイと言うてくれ」
「ウザッ! 姫条が言うとヘンに生々しい。アンタそんなだから彼女できないんじゃん」
「うっわー……こらまた手厳しい……」
 姫条くんはうなだれて長いため息をつく。やっと静かになりそう。
 ありがとう奈津実ちゃん。

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