その理由は - 2 -
かさかさと、飴の包みを開く音が妙に響いた。
懲りずにまた何か仕掛けてくるのかと構えていたけれど、姫条くんはおとなしく飴を口にしただけだった。
「……ところでちゃん、ジブン大丈夫なんか? 女の子からの風当たり強なってへん?」
「んー、ちょっとは……。でも、みんな葉月くんと話してみたいんだろうしね、仕方ないのかなって。何かされたりしてないから平気だよ」
たまに居心地の悪さを感じたりはするけれど、仲良しの友達がいるからいい。どちらかといえば、葉月くん本人の方が私には問題だ。
目を向けると、奈津実ちゃんは親指を立てて、「任せて! いざというときはチア部の勇者を集めて護衛隊してあげる」なんて頼もしいことを言ってくれた。
そこまでの緊急事態になりはしないのにね。でもこういうすかっとしたところに救われてもいる。
よし。私も、奈津実ちゃんが危険な目に遭いそうになったら、真っ先に護衛を買って出よう。
「ハハッ、頑張れ藤井隊長! けどまあ、ふたりともムリせんと、手に負われへんなる前にオレに言いや? オレはいつでも、カワイイ女の子たちの味方やで」
流し目でふっと口の端を上げて。ごめん姫条くん、気持ちはありがたいけど……その顔、うさん臭い。
静かな空気はほんの少しの間だけ、やっぱりそうだったか。
姫条くんって、ホントはカッコイイのに、よく見なきゃわかんない。失礼かな?
「へー……ホストみたい。調子いいよね」「カワイイのは知ってる。けどアタシ、おごるお金ないから」
私と奈津実ちゃんがむくれてつんとしてみせると、姫条くんは首をひねる。
「なんやソレ、そのまんま素直に言うただけやのに」
「「ふーん……」」
「見事にハモったな」
揃った声を追いかけてきた葉擦れの音は、姫条くんの言葉を聞き流す効果音みたいだった。
大きな手が意外にも器用に飴の包み紙を扱って、折り紙の定番、鶴ができあがった。
それを受け取った私は、姫条くんの手にグミを3粒乗せた。
姫条くんは一気に頬張り、お礼だと腰のポケットからボールペンを2本取り出す。バイト先の景品だそうだ。
クマだか猫だか判断できないイラストが軸に並んでいる。ガソリンスタンドの制服を着て、ポーズは可愛いのになんだか微妙なキャラクターだった。
ペン軸をじっと見ていた奈津実ちゃんが「あーっ、これって……」と声を上げると、姫条くんは「まあ、そういうことや」と苦笑い。よくわからない。
首をかしげていた私に合わせるように、こっちを見た姫条くんも頭を傾けた。
「なあ、まだ廊下の絵、見てへんみたいやな」
「? うん」
「葉月の絵、見に行ってみ? めっちゃカワイイで」
今日はやけに葉月くんを推される日だな。
「『みんなの』絵を、ね! あとで見に行くよ」
「まあまあ、そない言わんと真っ先に見たりや。あ、アイツとふたりで行くのもええんちゃう?」
「……っ」
なんてことを言うんだろう、このひとは。
だから緊張するってさっきから散々……。
「ハハッ、わかったわかった、悪かったって。ホンマわかりやすいわー。……知らぬは本人ばかりなり〜、ってな」
「何のこと?」
「これ以上は、ボク、お口チャックします」
「えーっ!?」
奈津実ちゃんを見ても、ごまかすように極上の笑顔が返ってくるだけ。
飛び入りレギュラーを加えた3人でのおしゃべりは、結論がうやむやなまま最後に謎を残して終わった。
このまま教室へ戻ろうか、それとも今度こそ絵を見に行こうか。
奈津実ちゃんも姫条くんもそれぞれ用事があるらしく、私はひとり中庭を歩きながら考えていた。
でも。葉月くんの可愛い絵、って。
あんな勧め方をされると、ちょっとイヤな予感がして、何かがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。
私の前を横切ろうとしていた男の子が、はたと立ち止まった。そしてこっちを見て笑顔を浮かべ、近付いてくる。
初めて見る顔なのにいやに親しげな様子、人違いかと思っても周りに誰もいない。
「見ぃつけたー」
「……?」
葉月くんや姫条くんほどじゃないけど背が高く、涼しげな顔立ちで気の強そうな男の子だ。
きれいな形をした眉は、こだわってお手入れしてるっぽい。
無造作エアリー、ってこういうのかな? ふわふわラフな髪からちらりと覗く耳にはピアスがたくさん。
できるだけ関わりたくない雰囲気だった。
「へー、本物もっといいじゃん。さん、だっけ? 葉月やめて俺と遊びに行かない?」
本物? じゃあ偽物が存在するのかと聞きたいところだけど、それよりこんな無駄な話は早く切り上げなくちゃ。
「は? あの、急に言われても」
「まあそうだよねー。けど、アイツと付き合ってないんでしょ? だったらさ、いいじゃんお試し感覚で」
自信満々ってカンジ。ぐいぐい押してくる話し方が不快だ。
ああ、これがきっと奈津実ちゃんの言う「調子に乗ってて偉そう」なタイプなんだろう。
「私、用事があるから」
「あははは! 面白いね、まだいつとかって訊いてないしー。ね、空いてる日教え……うっわ、タイミング悪っ。つか顔コワッ」
これから先、永遠に用事があるのだと言い張ろうとしたのが伝わったのか、彼は唐突に自己完結し去っていった。
怖い顔なんてしたつもりはないけど、何にせよ助かった。
うん。葉月くんじゃなきゃ、こうしてすらすらとお断りできるのにな。
小さなため息をつき、私は彼が行った方向を背に、足を踏み出した。
空気ががらりと変わる。
生い茂る木々を背景に、とけ込んで、いや、自分にとけ込ませてひとつの世界を造りあげるひとがいた。
「……あ」
その姿を目にした途端、心臓がどくりと騒ぐ。
違う、他のひとと葉月くんは全然違う。
軽い挨拶程度ですれ違うだけでいい。頭ではわかっていても体がそれどころではなく、辛い試練のようだ。
できることなら一目散に逃げ出したい。けど。
目が確実に合ってから踵を返すのは、人としてどうだろう。さっきの彼の後を追うようになるのもいやだ。
無理にでも足を進めるしかなかった。
「……姫条たち、一緒じゃないのか?」
「えっ!?」
歩み寄ってくる彼の静かな問いかけに、私はとても間抜けで大きな声を出してしまった。
あの場所にいる間、姫条くんのあと誰も通りはしなかった。なのになぜその名前が?
「ああ、コレ。買いに行くとき、3人で話してるのを見たから」
葉月くんの手には、猫のイラストと「milk」の文字が書かれた紙パックがあった。
「……そっ、そうなんだ……。ふたりとも、用事があるから、って」
「そうか。……今から、体育館裏に行かないか?」
「猫?」
こくりとうなずくその顔はどこかほんわり緩んでいた。
食後の眠気からか、それとも寝起きなのかも。
どちらにしても、私にとっては「モデル・葉月 珪」よりも危険な顔であるのに変わりはない。
「一度見てみたいって言ってただろ? お前、まだ向こうにいるかと思って、行こうとしてた」
「う、うん……」
どうしよう、わざわざお迎えだなんて。
猫の親子が体育館の辺りに住みついていると聞いて、たしかに「見たい」とは言ったけれど。
にこやかに話す葉月くんを前に、空気を壊さない無難な選択肢としてのことであって。
仔猫は見たい、猫は大好きだ。でも葉月くんと一緒に、なんてそこまでは。正直、頭を巡らす余裕が無かった。
違うよ葉月くん、そうじゃない、違うのに。
OKの「うん」に取られたみたいで、彼は柔らかく微笑む。
なんか、ああもう。
呼吸をすること。声を出すこと。
こんなに難しかった?
たくさんの葉がさわさわと揺れてくれて、今ほどありがたいと思えたときは無い。
「仔猫って、えっと……これくらい? 抱っこさせてくれるかな?」
両手で丸い形をしてみせると、隣から「そうだな」と優しい声。
「はじめ警戒するかもしれないけど……無茶しなければアイツらから寄ってくる」
「私、仔猫って触ったことがないから。あのっ、アレだね、怖がられないようにしなくちゃね!」
間を持たせようと必死でいる私のもたつく言葉。
くすりと笑う、胸を波打たせる響き。
すべて、木の葉がさわさわと覆ってくれる。
体育館はすぐそこ。
もうすぐ可愛い猫たちに会える。
「……なあ」
「んっ?」
ふわふわと温かいんだろうな。
小さい子にすりすりされたい。
「かけてやろうか、思いっきり」
「な、何を?」
時間が切り取られたかのよう。
絶え間なく揺れ遊んでいた木の葉がぴたりと静まった。
「…………エコー」
言葉をなくす私。
微笑みを残り香にし、悠々と歩を進める彼。
このひと、とんでもない王子様だ。
こうしてすぐ、私の平常心から何からさらっていって。
代わりに、熱を発生させる。
熱い。くらくら。
倒れそう。倒れそう。
どうしよう。
私は、葉月くんが苦手だ。
-fin-